夢織りの記憶 -Juncci TV Blog-

夢の世界を巡る、不思議で幻想的な体験を綴るブログ

煙突の上で・・・

高い煙突の上から…

 

今朝目覚めた時、私は奇妙で少し不安になるような夢を見たことを覚えていました。
それは、高い場所に取り残されるという、私が最も苦手とするシチュエーションの夢でした。

夢の始まりは、見渡す限りどこまでも広がる空と、一つの細長い煙突の上。

私はその煙突の頂点に一人で立っていました。

あたりには誰もいません。ただ、自分の足元から空へと続く風が、ひゅーっと冷たい音を立てて吹き抜けていくのが聞こえます。

見下ろすと、地上は遥か遠くに感じられ、その高さがどれほどのものか、想像するだけで足がすくむような恐怖感に襲われました。

「どうしてこんなところにいるんだろう?」

と頭の中で疑問が渦巻きますが、その答えは見つかりません。

ただ、今ここにいるという現実と、どうやってここから降りればいいのかという問題に直面していました。周りを見渡しても、梯子や階段のようなものはどこにもありません。煙突は細く、ただ空に向かってまっすぐに伸びているだけです。

この状況で私は一つの選択を迫られました。ここからどうにかして降りなければならない。しかし、その方法がまったく思い浮かびません。

しばらくその場で立ち尽くしていると、ふと背中に何かを感じました。

 

 

何かが私に背負われている感覚。

恐る恐る背中を手で触れてみると、そこにはパラシュートが背負われていました。
驚きつつも少しほっとした気持ちが湧き上がります。
パラシュートがあれば、飛び降りても安全に地上へ降りられるかもしれない。
理屈ではそう理解していましたが、心はその事実を受け入れることができませんでした。

私は高い場所がとても苦手です。
普段なら、ビルの屋上や展望台にいるだけでも足が震えてしまうのに、今はその何倍もの高さに立たされているのです。パラシュートを使って飛び降りれば助かると分かっていても、恐怖心がそれを妨げていました。

「飛べない……どうしよう……」

私は何度も自分に言い聞かせましたが、体は固まり、動けなくなってしまっていました。パラシュートがあることに気づいても、踏み出す勇気が湧かない自分に、もどかしさと苛立ちを感じました。
こんなに簡単な解決方法が目の前にあるのに、どうして飛べないんだろう?心の中で葛藤が渦巻き、胸が苦しくなります。

しかし、このまま煙突の上に立ち尽くしているわけにもいきません。
やがて私は意を決して、飛ぶことを決心しました。
恐怖を抑え込んで、一歩踏み出そうとしたその瞬間、不思議なことが起こりました。

突然、私の足元にはしごが現れたのです。



それはまるで私が飛ぼうと決断したのを見計らったかのように、煙突の側面から伸びてきて、地上まで続いていました。
驚く暇もなく、私はそのはしごに足をかけました。
体が勝手に動いていたのです。今まで固まっていた恐怖が、はしごを見た瞬間にすっと消え、自然と足が地上に向かって降りていきました。

一段一段、慎重に降りながらも、心の中では安堵感が広がっていきました。
恐怖で固まっていた私が、梯子を使ってゆっくりと地上へ降りる感覚は、まるで問題の解決策が突然目の前に現れたかのような、不思議な安心感をもたらしました。

地上に足が着いた瞬間、私はようやく心からほっと息をつきました。
背中のパラシュートはまだそのまま背負われていましたが、結局使うことはありませんでした。パラシュートという最も簡単で早い解決策があったにもかかわらず、私はそれを使わずに、最後ははしごに頼ってしまったのです。

 

 

目が覚めてから…

目が覚めた後、この夢のことを何度も考えました。
高い場所への恐怖と、そこからの脱出の手段についての象徴的な夢だったのかもしれません。パラシュートは恐怖に立ち向かうための勇気を象徴していたのかもしれないし、はしごはもっと現実的な解決策を示していたのかもしれません。

私にとって、この夢は非常に示唆的。

困難に直面した時、私たちにはさまざまな解決策があるはずです。
しかし、時にはその中で最も簡単な方法が、恐怖や不安に邪魔されて選べないこともあるでしょう。
そんな時、自分の内なる力で別の道を見つけることが大切なのかもしれません。

夢の中で私はパラシュートを使うことができませんでしたが、それでもはしごという別の方法で安全に地上へ戻ることができました。
夢の教訓は、どんなに怖い状況でも、何かしらの解決策が必ず存在するということ。そして、どんな方法であれ、それに気づき、行動することが最も重要なのだと感じました。