夢織りの記憶 -Juncci TV Blog-

夢の世界を巡る、不思議で幻想的な体験を綴るブログ

終わらない階段

終わらない階段

夢の始まり

私は不思議な夢を見ました。夢の中で私は、ずっと上り続ける階段に立っていました。どこまでも続くその階段には、終わりが見えず、永遠に上へと進んでいるように感じました。一段一段、確かな足取りで上っているのですが、進んでも進んでも同じ景色が広がり、ゴールはまったく見えない。それでも私はひたすら階段を上り続けました。途中で「なぜこんなに上り続けているのだろう?」と疑問に思いましたが、なぜか立ち止まることも戻ることもできないのです。

 

 

階段はどこに続いているのか、そして私はなぜこんなにも必死に上っているのか、その答えはわからないままでした。途中で、少し疲れを感じましたが、夢の中の私は、疲れを感じながらも上り続けることをやめませんでした。息が上がり、足が重くなっていく感覚がありましたが、不思議と体は動き続けていました。目の前にはただただ階段が続いているだけで、それ以外のものは何もありません。

 

階段を上りながら、私の心の中ではさまざまな思いが浮かんできました。「これは何かの試練なのか?」と思ったり、「この階段の先には何が待っているのだろう?」と考えたり。でも、夢の中では答えを探すことはできず、ただ上り続けるしかありませんでした。

 

 

この夢は、私にいろいろなことを考えさせました。人生もまた、終わりが見えない階段のようなものかもしれません。時にはどこへ向かっているのかわからなくても、一歩一歩進んでいくことが大切なのかもしれない。私たちは、何か目標や目的地を持って生きていますが、その道中で道がわからなくなったり、進むことに疲れを感じることもあります。それでも、進み続けることが重要であり、その先に何が待っているのかは、実際にたどり着くまでわからないのかもしれません。

 

夢の中で私が感じた「立ち止まれない感覚」は、現実の人生でもよくあるものです。私たちは、日々の生活の中で何かに追われるように動き続け、時には「これでいいのか?」と自問しながらも前に進んでいきます。振り返る余裕もないまま、ただ前に進むことだけに集中してしまうこともあります。けれども、そんな時こそ立ち止まって考えるべきなのかもしれません。夢の中で立ち止まれなかった私は、現実の世界では自分自身を見つめ直すことができると信じています。

 

 

夢の終わりは、何とも言えないものでした。結局、私はどこにもたどり着かないまま、ただ上り続けていました。目が覚めた時、何か不思議な感覚が残りました。あの階段は一体何を象徴していたのでしょうか?永遠に続く階段は、私の中で何か大切なことを伝えようとしていたのかもしれません。それは「前に進むことの意味」や「目的地を見失わないための心の持ち方」なのかもしれません。

夢の解釈は難しいですが、この夢は私に多くのことを考えさせました。もしかしたら、私たちの人生には、必ずしもはっきりとしたゴールがあるわけではないのかもしれません。大切なのは、途中で何を感じ、何を学び、どのように進んでいくかです。私が夢の中で階段を上り続けたように、私たちもまた、人生の階段を一歩ずつ進んでいくのでしょう。

 

最後に、この夢を見たことで気づいたことがあります。それは、たとえ終わりが見えなくても、自分自身を信じて進み続けることが大切だということです。どんなに長く続く階段でも、いつか必ずたどり着けると信じて、一歩一歩を大切に踏みしめていくことが、私たちの人生において大事なのだと改めて思いました。

昨日と明日は違う空❗️

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降りられないジェットコースター

降りられないジェットコースター

夢の始まり…

ある夜、また不思議な夢を見ました。それは遊園地での出来事。

空は澄み渡り、少し冷たい風が肌を撫でる中、私はジェットコースターに乗り込んでいました。普通なら、楽しいスリルを楽しむはずのこの瞬間、何かが違っていたのです。ジェットコースターは動き始めると、すぐに勢いを増し、ぐるぐるとループや急降下を繰り返します。最初はそのスピード感にワクワクしたものの、時間が経つにつれ違和感が生まれ始めました。

気づくと、いつまで経っても止まらないのです。通常、1周すればゴールに戻って降りられるはずが、私が乗っているコースターは延々とレールを走り続け、終わりが見えません。時折、「次で終わるのでは」と期待を抱くものの、再び急な坂を駆け上がり、恐怖に満ちた急降下を繰り返すだけ。

降りられない

私はジェットコースターの座席にしっかりと固定され、降りることができません。

「永遠に続くのではないか」と思い始め、焦燥感が胸を締め付けました。周りの景色も同じ場所を何度も通り過ぎるようで、デジャヴのような感覚が押し寄せます。遊園地の観覧車やメリーゴーランド、遠くに見えるお化け屋敷さえも、ずっと変わらずそこにあるのです。しかし、それらはただ背景に過ぎず、私の世界はジェットコースターの軌道から外れることができません。

 

次第に、周りの音も変わり始めました。最初は楽しげな人々の歓声や遊園地の音楽が聞こえていたのに、それが遠のいていき、今では風の音だけが耳元を通り過ぎるように感じます。孤独感が徐々に募り、心の中で「このまま終わらないのではないか」という恐怖が大きくなっていきます。

 

夢の中の私は、もう数えきれないほどジェットコースターを走り続け、ただひたすら時間が過ぎるのを感じていました。最初は「いつかは止まるだろう」と信じていたのに、今ではその希望すら薄れてしまいました。「永遠に続くもの」など本来あり得ないはずですが、夢の中ではその感覚が現実のようにリアルで、終わりのないループに飲み込まれていきます。

ループの恐怖

途中、私の体感としては、何度も「これで最後かもしれない」という瞬間が訪れました。だが、結局はまた同じ場所に戻り、また新たなループが始まります。この感覚はまるで、人生の中で感じるデジャヴに似ているのではないかと思いました。日常の中でも、同じような出来事や風景に出くわすことがよくありますが、それが夢の中では一層強調され、終わりのないジェットコースターとして現れているかのように感じました。

 

 

ふと、「降りたい」と強く願う瞬間が訪れます。しかし、どんなに念じても体は動かず、ジェットコースターは止まる気配を見せません。私はその不安感と絶望感に押しつぶされそうになりながら、次第に現実の世界と夢の世界の境界が曖昧になっていく感覚を覚えました。

目が覚めると

目が覚めると、部屋の静けさが一気に戻ってきました。夢の中で感じていた永遠に続く恐怖は、現実の冷たい空気に包まれ、急速に消えていきます。けれども、その時の感覚や感情はまだ体に残っていて、しばらくの間、夢と現実の境界を探るような気持ちで布団の中に横たわっていました。

 

遊園地殺人事件:予告編

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この夢は私に何を伝えたかったのだろうか?もしかしたら、日常の中で感じる「終わらないループ」や「変化のない日々」に対する漠然とした不安が、ジェットコースターという形で表れたのかもしれません。また、降りられないという感覚は、何かしらの選択肢が限られた状況に対する心の叫びかもしれません。

夢が伝える事

夢とは、時に私たちの無意識に隠された感情や考えを表現する手段なのかもしれません。今回の夢も、私に何かを気づかせようとしているのかもしれないと感じました。現実の生活の中で、何か「変えたい」と思う部分があるのか、それともただ流されるように過ごしている部分があるのか、夢を通して自己を見つめ直す時間を得た気がします。

 

次にジェットコースターに乗る時は、夢の中でなくても、同じような感覚を思い出してしまうかもしれません。でも、現実の世界ではちゃんと降りられる。だからこそ、夢の中で感じた恐怖や焦りは、単なる一時的なものだと安心して思えるのです。

 

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繰り返される瞬間~夢と現実の交錯する世界~

繰り返される瞬間~夢と現実の交錯する世界~

夢と現実の世界の不思議な体験について

私の人生には、ある奇妙な体験が頻繁に訪れます。夢の中で見た景色や人との会話が、現実世界でも「これ、二度目だな」と感じる瞬間に重なることがあるのです。皆さんにもよくあるあれです。それはまるで、同じ出来事を何度も体験しているかのようで、時間がループしているような不思議な感覚に襲われます。

 

 

たとえば、友人と何気ない会話をしている最中、
ふと「あれ?この話、前にもしたことがある」と思う瞬間があるのです。
しかし、その内容は初めて話したはずのことなのに、どこかで既に体験したかのような強い既視感が押し寄せてきます。そうした感覚は、一瞬の出来事ではなく、その場全体が「再生」されているかのように、場所や状況、さらには私自身の感情までが繰り返されているように感じます。

 

特に印象に残っているのは、ある風景です。夢の中で何度も見た、その場所は、大きな樹々が生い茂る森の中にある古びた小道です。静かな空間に包まれ、風が木々を揺らす音だけが聞こえる場所。その場所には、なぜか強い懐かしさを感じます。夢の中でこの道を歩くたびに、私は「ここは二度目だな」と感じます。

不思議なのは、ある日、現実の中でこの場所に酷似した場所を訪れた時のことです。
その場所は私が初めて訪れるはずの場所でした。しかし、私の中ではすでに何度もそこを歩いたかのように思い出がよみがえり、夢での感覚と現実が完全に重なり合ったのです。木々のざわめきや、古びた道の湿った感触まで、すべてが夢と一致していました。「ここを歩いたのは、これが二度目だ」と確信した瞬間でした。

デジャヴ(既視感)

このような体験は私だけに限られたものではないかもしれません。
多くの人が「デジャヴ(既視感)」という言葉で説明できるような体験をしているでしょう。しかし、私にとってのそれは単なる一瞬の感覚ではなく、より深いものがあります。それは夢と現実の境界が曖昧になり、両方の世界がつながっているかのような感覚です。まるで夢が現実を形作り、現実が夢を再生しているかのように。

 

もう一つ、夢と現実が交錯する瞬間がありました。それは、ある人との会話の中で起こりました。その人は、夢の中でよく現れる存在で、何度も話をしたことがあるような気がしていました。しかし、現実の世界では、初めて会うはずの人物でした。最初はなんの違和感もなく会話をしていたのですが、ある瞬間、「この人とこの会話をしたのは、これが二度目だ」と感じたのです。話の内容から声のトーン、さらにはその場の空気感までが、夢で体験したものと完全に一致していたのです。

 

このような体験をするたびに、私の中では一つの疑問が浮かびます。果たして夢は単なる脳の活動の副産物に過ぎないのでしょうか?それとも、夢の中で私たちは何か重要な情報を受け取っているのでしょうか?夢の中で繰り返される景色や会話が、現実世界にリンクしているかのように感じる体験は、単なる偶然ではなく、何かしらのメッセージが含まれているのではないかと考えずにはいられません。

 

夢の中で体験する世界は、私たちが普段意識していない深層心理や、無意識の領域からの影響を受けているとよく言われます。そう考えると、夢の中で繰り返されるシーンや会話は、私の無意識が何かを伝えようとしているのかもしれません。もしかすると、現実での体験もまた、夢を通じて予見されているのではないかとさえ感じることがあります。

この体験を記録し、分析することで、夢と現実の間にある見えない糸が少しでも解き明かせるのではないかと思っています。夢の中で何度も見た景色が現実に現れたり、夢で交わした言葉が現実の会話に反映されたりする現象は、ただの偶然で片づけられるものではないかもしれません。

 

今後も、この奇妙な体験を大切に記録し続け、夢と現実の交差点で何か新しい発見があることを期待しています。そして、その記録が自分自身の心の奥深くを探る手がかりになるかもしれません。夢と現実の間には、私たちがまだ理解していない何かが存在しているような気がします。それを解き明かす旅は、これからも続いていくでしょう。

 

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鏡の中のもう一人の自分

鏡の中のもう一人の自分


今朝、私は不思議な夢を見ました。それは、鏡の中にもう一人の自分が現れ、何かを伝えようとしていた夢です。普段の夢とは違い、非常に強い印象が残る夢でした。
鏡というものは、私たちの姿をそのまま映し出すものですが、その夢では、鏡の中の自分はまるで別の存在であるかのように見えました。彼は何かを伝えようとしていたのに、私はその言葉を理解することができませんでした。

夢の始まり

夢の始まりは、普通の部屋の中でした。私はいつものように鏡の前に立っていましたが、その時、鏡に映る自分が私に向かって何かを話しかけようとしていることに気づきました。口が動いているのですが、音が出ない。まるで、ガラス越しに何かを伝えようとしているような、不安定で曖昧なコミュニケーションでした。私は何度も耳を傾けましたが、何を言っているのか理解することができませんでした。

 

この状況に戸惑いを感じた私は、鏡の中の自分とじっと目を合わせました。彼の目には、何か強いメッセージが込められているように感じました。しかし、その意味を掴むことができないのです。焦りが募る中、私は無意識に、
「何を伝えたいの?」と問いかけました。
しかし、鏡の中の自分はただ微笑んでいるだけで、その答えを教えてはくれませんでした。そして目を覚ましました。

夢を振り返る

この夢を振り返ってみると、鏡の中の自分は一体何を象徴していたのか、そして何を伝えようとしていたのかが気になります。鏡というものは、単に自分の外見を映すだけでなく、私たちの内面を反映するものでもあるように感じます。夢の中の鏡の自分は、私の心の奥底にある何かを象徴していたのかもしれません。

 

私たちは、普段の生活の中で自分自身を客観的に見ることは難しいものです。日々の忙しさや様々な出来事に追われ、自己と向き合う時間を持つことが少なくなってしまいます。しかし、この夢は私に「自分自身と対話すること」の重要性を教えてくれているように感じました。鏡の中の自分は、もしかすると私が見逃している感情や、普段意識しないでいる内なる声を伝えようとしていたのかもしれません。

 

夢の中での体験は、現実でも何か大切なことを気づかせてくれることがあります。今回の夢も、私にとって一つのメッセージとして受け取るべきものかもしれません。鏡の中の自分が話そうとしていたこと、それはもしかすると、私が自分自身に対して抱いている何かの不安や疑問なのかもしれません。普段は意識の奥底に隠れている感情や思考が、夢を通じて表面に出てきたのかもしれないのです。

 

 

 

夢の中で感じた「何かを伝えようとしている」という焦燥感は、実生活において私が抱えている問題や課題に対するヒントを示しているのかもしれません。私たちは時として、自分自身の本当の気持ちに気づかずに行動してしまうことがあります。しかし、内なる自分は常に何かを感じ、考え、そしてそれを私たちに伝えようとしています。今回の夢は、その「内なる声」を無視してはいけないというメッセージであるように思えます。

 

また、夢の中での鏡は「自己反省」や「自己認識」を象徴しているようにも感じます。普段は見えない部分に目を向けることの重要性を、夢は教えてくれたのではないでしょうか。私たちは、時に自分を外から眺め、客観的に見つめ直す必要があります。夢の中で私は、自分自身と向き合おうとしましたが、完全に理解することはできませんでした。しかし、それが実は「自分探しの過程」そのものであり、完全に理解する必要はないのかもしれません。大切なのは、その過程に気づき、意識的に向き合おうとすることなのだと思います。

 

夢の終わりは、何とも言えないものでした。私は鏡の中の自分をじっと見つめながら、何かをつかもうとしましたが、その瞬間に目が覚めました。夢の中の会話は結局成立せず、何を伝えたかったのかもわからないままでしたが、その不完全さがかえって私に深い印象を残しました。言葉で説明できない感覚やメッセージは、時に最も重要なものであることもあります。

この夢で感じた事は

この夢を通じて感じたのは、自分自身をもっと知ることの大切さです。
私たちは日々の中で、自分自身の声に耳を傾けることを忘れがちです。しかし、心の奥底には、常に何かを伝えようとする自分がいるのです。鏡の中の自分は、そのことを私に教えてくれたのだと思います。これからは、もっと自分自身と対話する時間を持ち、その声に耳を傾けることを意識していきたいと感じました。

 

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繰り返される数字の夢

繰り返される数字の夢


夢の中で、私は繰り返し同じ数字を見ていました。それは、自分の誕生日やぞろ目の数字が現れるという不思議な夢でした。何度も同じ数字が目の前に浮かび上がり、その数字が強調されるたびに、まるで何かのメッセージが隠されているような気がしてきます。私はその夢の中で、これらの数字が一体何を意味しているのか、何を伝えようとしているのかを考え続けました。

夢の始まり

夢の始まりは、非常に平凡なものでした。私は普通に部屋にいて、時計を見ていました。しかし、時計に表示された時間が自分の誕生日と一致していることに気づきました。最初はただの偶然かと思い、深くは考えませんでした。
次の瞬間、テレビに映し出されている番号や本のページ番号など、あらゆる場所に同じ誕生日の数字が繰り返し登場するようになったのです。そのたびに、私は「これは何か意味があるのではないか」と考えました。

 

 

現実にも起こる夢と同じ現象

夢の中で感じた不思議な感覚は、現実でもたまに経験することがあります。
たとえば、何度も同じ時間に時計を見たり、ぞろ目のナンバープレートを見かけたりすることがあります。こうした現象が起こるたびに「何かのサインかもしれない」と感じることがあるでしょう。夢の中では、この感覚がさらに強調され、私は次第に「この数字が何を示しているのか」を探り始めました。

時間の経過

時間が経つにつれ、同じ数字が夢の中に現れる頻度が増していきました。
最初は誕生日の数字だけだったのが、次第にぞろ目の数字や、何か特定の意味を持っているような数字が繰り返されるようになりました。
特に印象的だったのは「1111」や「2222」といったぞろ目の数字です。
これらの数字が現れるたびに、私の心はざわつき、「何かを見逃しているのではないか」と思わずにはいられませんでした。

この夢が終わるまで、私は同じ数字を何度も見続けました。目が覚めたとき、その数字の意味が何なのかは依然として分からないままでしたが、夢の中で感じた不思議な感覚は現実にも残っていました。「数字には何かメッセージがあるのだろうか?」という問いが頭の中で繰り返されます。夢が終わっても、私はその答えを探し続けていました。

 

 

数字が伝えているものは

夢の中で数字が繰り返される現象は、心理的な面や無意識に隠されたメッセージが関係しているのかもしれません。数字は古代から特別な意味を持つものとされ、占星術数秘術では、数字には特定のエネルギーや象徴があると考えられています。たとえば、ぞろ目の「1111」は「新たな始まり」や「精神的な目覚め」を象徴する数字とされています。この数字を何度も見ることで、私は何か新しいことが始まろうとしているのではないかという感覚を抱きました。

また、誕生日という数字も、私たちの人生において特別な意味を持っています。誕生日は、自分の存在や人生のテーマに深く関連しており、夢の中でその数字が繰り返されることは、自分自身に対する気づきや、新たな人生のステージが訪れる兆しである可能性があります。もしかすると、この夢は「自分自身と向き合う時期が来ている」というメッセージだったのかもしれません。

エンジェルナンバー

現実世界においても、同じ数字を何度も見ることは、しばしば「エンジェルナンバー」として解釈されることがあります。エンジェルナンバーとは、天使や高次の存在が私たちにメッセージを伝えるために使う数字のパターンだと言われています。たとえば、ぞろ目の数字や特定の数字を繰り返し見ることで、私たちは無意識的にそのメッセージに気づき、行動を変えるきっかけになるのです。

夢の中で私が何度も見た誕生日の数字やぞろ目は、まさにこのエンジェルナンバーに近い感覚でした。それは単なる偶然ではなく、何か大切なことを教えようとしているような気がしました。おそらく、この夢が私に伝えたかったのは
「自分の人生や選択にもっと意識を向けなさい」
というメッセージだったのかもしれません。夢の中で見た数字は、そのような気づきを促すためのシンボルだったのだと思います。

 

夢が現実に影響を与えることはよくあります。特に強い印象を残す夢は、私たちに何かを気づかせ、行動や思考を変えるきっかけを与えてくれることがあります。今回の夢も、私にとってはそのような体験でした。繰り返される数字が意味するものは何なのか、それは今後の私の人生において少しずつ明らかになっていくのかもしれません。もしかすると、次に同じ数字を見たときには、その意味がもっとはっきりと理解できるかもしれません。

最後に

目が覚めた後も、私はこの夢のことを考え続けています。数字が持つ力や意味、そしてそれが私の人生にどのような影響を与えているのか。普段の生活の中でも、何気なく見る数字に注意を払うようになりました。同じ数字を何度も見ることがあれば、それは再び夢が伝えようとしているメッセージなのかもしれません。これからの生活の中で、数字のサインを見逃さないようにしようと心に決めています。

 

 

幼少からずっと見続けている夢

小さなころからずっと見続ける夢

私は小さなころから、ある特定の夢を何度も見続けています。それは夢の中に現れる、ぐるぐると回る大きなものにまつわるものです。その夢は、ある意味で私にとって慣れ親しんだものになっていますが、それでも毎回、奇妙で心をざわつかせる感覚を残していきます。

 

 

始まりはいつも

夢の中では、私は高い場所にいて、そこから何かをずっと眺めています。それは、形容しがたい柔らかそうな、ぐるぐると回転する大きな物体です。それが何なのか、何を象徴しているのかは分からないのですが、複数の同じものが連なっている様子を見つめ続けています。

不思議な物体

この物体は決して止まることはなく、静かに回り続けています。私はただそれを見つめるだけで、最初は特に恐怖を感じているわけではありません。しかし、徐々に夢の中の雰囲気が変わり始めます。回っているそれらが次第に大きくなり、ゆっくりと私の方に迫ってくるのです。この瞬間が、私にとっていつも不安と焦燥感を呼び起こす部分です。

 

 

襲い掛かる闇

大きくなると、今度はその物体がまるで襲い掛かってくるかのように感じます。まるで私を包み込もうとするかのように、どんどん迫ってきます。しかし、これが非常に不思議なことなのですが、その物体は一度も私に届いたことがありません。襲い掛かってくるように感じながらも、私に全く触れることはないのです。

 

その距離感は、いつも同じです。今にも触れそうで触れない、絶妙な距離を保ちながら、私はそのまま目が覚めてしまいます。この夢の最後はいつも同じで、目覚めた後には不思議な感覚が残ります。何かを解決できないまま目が覚める、そんなもやもやとした気持ちが後を引くのです。

目が覚めると…

長年、この夢について考えることがありました。なぜこんな夢を見るのか?何を意味しているのか?私にとって何か象徴的な意味があるのかもしれませんが、はっきりとした答えはまだ見つかっていません。私自身、この夢を見続けることで成長し、変化してきたことを実感していますが、それでもなお解明できない謎が残っています。

 

この夢の内容が私にとって特別であることは確かですが、その一方で不安を抱く要素も少なからずあります。なぜなら、その回転する物体が私に何かを伝えようとしているように感じるからです。襲い掛かってくるようでいて、結局は届かないという状況は、まるで何かを追い求めているのに、いつも手の届かないものがあるかのようです。

 

これまでに見た夢の中で、最も印象に残っているのは、その「ぐるぐると回る」という部分です。この回転する動作が、何かの象徴かもしれません。私が何かに囚われていることを表しているのか、あるいは人生のサイクルを暗示しているのか…。夢は時に私たちが普段意識していない感情や思考を反映していると言われていますが、この夢もまた、私に何か深層心理を語りかけているのかもしれません。

最後に。

ブログにこの夢を書き残すことは、もしかするとその謎を解くための一歩かもしれません。夢を綴ることで、自分自身と向き合い、何か新しい発見があるかもしれない。

 

トラックの荷台に揺られて・・・

どこに向かっていたのか…


今朝目が覚めたとき、奇妙な夢の感覚がまだ残っていました。
それは、知らない人たちと一緒にトラックに乗って、どこまでも果てしなく走り続ける夢でした。特に何か大きな出来事があったわけではないのに、不思議と強く印象に残る夢でした。

夢の始まり

夢の始まりは、荷物を積むところからでした。
トラックの荷台に、何か大きな荷物を載せているのですが、それを運んでいるのは私ではなく、3人の知らない人たちでした。彼らの顔も名前も思い出せません。
見たことがあるわけでもないし、夢の中で特に会話を交わすこともありませんでした。ただ、淡々と荷物を積んでいる姿が目に映るだけでした。

私自身はただその様子を眺めていて、荷物が積み終わるのを待っていました。
荷物の中身も、どこに運ぶのかも分からない。
彼らが何をしているのかも不明でしたが、不思議とその状況に違和感を感じることはありませんでした。夢の中では、それが当たり前のように思えていたのです。

やがて荷物がすべて積み終わり、私はトラックの荷台に乗り込みました。
もちろん、運転席に座るわけではなく、荷物の横に腰を下ろします。
3人の知らない人たちも一緒に荷台に乗り込みましたが、やはり彼らとの会話は一切ありません。ただ、黙々と座っているだけです。
なんとなく、一緒にいるのに全くつながりを感じられない、孤独な空気が漂っていました。

 

トラックはエンジンをかけ、静かに動き出した

最初はゆっくりと、そして次第に速度を上げていきます。私たちは荷台に座ったまま、どこに向かうのか分からないまま、ただトラックに揺られ続けていました。

風が私たちの顔に当たり、トラックが進む道には果てしない景色が広がっています。
周囲には人影も建物もなく、ただ地平線が続いているような広大な空間が広がっていました。車がどこを走っているのかはわかりませんが、その風景はどこか現実離れしていて、無限に続く道のように感じられました。
トラックはどこに向かっているのか、目的地があるのか、それすらもはっきりしません。ただ、走り続けるのです。

荷台に座っている間、私は一緒に乗っている4人のことをふと気にかけましたが、誰も私に話しかけてきません。私も彼らに話しかけることはなく、ただお互いに無言のまま、同じトラックに乗っているだけです。その沈黙は、重く感じるものではなく、どこか淡々としていました。孤独な空気は漂っているものの、不安や恐怖は感じませんでした。それでも、まるで全員が自分自身の世界に閉じこもっているような、隔絶された感覚がありました。

 

 

トラックは道なき道を進み

揺れるたびに、私の体は小刻みに跳ね、座っている荷台もきしむ音を立てています。
揺れが激しくなるにつれ、周りの景色もぼやけていきます。目の前に広がる景色はただの広がりであり、何も変化がなく、どこまでも同じ風景が続いていきました。

一体、私はどこに向かっているのか。なぜこのトラックに乗っているのか。
そんな疑問が心に浮かびましたが、答えは見つかりません。
夢の中の自分は、ただ「乗っている」こと自体が運命であり、何も抗うことができないような感覚を抱いていました。

やがて、トラックが大きく揺れた瞬間、私は一瞬バランスを崩しそうになりました。
その衝撃でふと我に返り、そして次の瞬間、目が覚めたのです。

 

目を開けると、現実の世界が戻ってきました。

あの軽トラック、4人の知らない人たち、果てしなく続く道――すべてがまるで遠い記憶のようにぼんやりと残っていましたが、同時に、どこかで深く刻まれているような感覚がありました。

この夢が何を意味しているのか、正直なところ私には分かりません。
軽トラックは私の人生の道筋を象徴しているのかもしれませんし、知らない人たちは私の知らない部分や未知の可能性を示しているのかもしれません。
あるいは、ただの無意識の中の断片的なイメージに過ぎないのかもしれません。

それでも、この夢は私に一つの感覚を残しました。
それは、「孤独であっても、どこかで誰かと共に進んでいる」ということ。言葉を交わさなくても、何も共通点がなくても、同じ車に乗って進むことには意味があるのかもしれません。

夢の中のトラックはどこまでも走り続けていましたが、私たちがどこに向かっているのかはわかりません。それでも、その先には何かが待っているはずです。
私は、夢の中でのあの長い道のりを振り返りながら、現実の道もまた同じように続いているのだと感じました。